後藤田正晴氏の死去に伴い、彼の人生と考え方を見詰め直してみる。

esperanca2005-09-24

 今月19日、元内閣官房長官法務大臣副大臣etc.の後藤田正晴氏が逝去された。正に「巨星堕つ」だ。
 略歴を「はてな」からそのまんま持って来てみる。


 1914年徳島県美郷村(現吉野川市)生まれ。1939年東京大学法学部卒。2005年9月19日、91歳で死去。

 1939年内務省入省、自治省を経て、1969年警察庁長官。1972年内閣官房副長官
 1976年に衆議院議員に徳島全県区より初当選、以後7期連続当選。
 その間、自治大臣内閣官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、法務大臣、副総理を歴任。中曽根内閣では他派閥である田中派から官房副長官に異例の抜擢をされ、以降通算3期を勤めた。
 鋭い舌鋒や認識力から”カミソリ後藤田”とあだ名され、長く権力の中枢に在った。内閣危機管理室の創始者としても知られる。


 元内務官僚・警察官僚でありながら冷静で一歩引いた視線で行政を見詰め、護憲と遵法の精神は揺らぐ事が無く、剛直無比で曲がった事を忌避し、一つの真実のみに固執せずに多角的・多面的な視野を保つ。
 素晴らしい官僚であり政治家だった、と思う。
 確かにマスコミ等からの批判は大きかった人だが、異なる思想から怖れられるが故のバッシングだったと思える。議員を辞した後に「政界の御意見番」的なポジションにあったのを見ると、やはり後藤田氏個人の能力&彼の行使出来る影響力に対する畏怖が、バッシングを喚んでいたんだろうなぁ(現実としての権力から離れた後は、個人として対応出来るものだ)。
 公人としての人間は、仕事で積み重ねて来た実績によってのみ評価されるもの。その点で言えば、彼・後藤田正晴の実績は異論を挟む余地が無いくらいだ。


 彼の遺した言葉に、「後藤田五訓」なるものがある。これは、内閣五室制度発足式典で五室長らに与えた訓示であり、仕事に対する(特に官僚に対する)後藤田氏の考え方が端的に顕れたものだと言える。
 一、省益を忘れ、国益を想え。
 二、悪い本当の事実を報告せよ。
 三、勇気を以て意見具申せよ。
 四、自分の仕事でないと言う勿れ。
 五、決定が下ったら従い、命令は実行せよ。


 このニュースを、オレは同日午後10時過ぎに仕事中の車の中で聞いてた。音声のみONにしてあるTVだったか、ラジオだったか。
 暗闇の中で眠気と戦いつつ仕事してたので、疲れ果てた脳細胞に染み渡るようにスゥーッと頭に入って来た。そして、この「後藤田五訓」に、強烈なインパクトを憶えた。
 この「後藤田五訓」は官僚に対する訓示だが、別に官僚だけが肝に銘ずべきものでは無い。一般の国家公務員だって地方公務員だって大事だし、民間企業のサラリーマンでも自営業でも根本的考え方は大差無いはずだ。
 暗闇を見詰めながら、自分の会社がこの「後藤田五訓」に従っているか、考えてみた。結果は、幾ばくかの憤怒と、深い溜め息だった。
 そして、自分はどうかなのと考えてみた。
 少なくとも「五訓」に近い意識は常に持っているつもりなのだが、実行出来ているのかはよく解らない。「四」「五」は十二分にやってるつもりだが、「二」「三」はちょっと自信が無いし、「一」になると漠然としてるので掴み切れない。
 だが、常に心の片隅に置いておくべきものだろう。仕事に対する考え方やスタンスは十人十色・千差万別だろうが、社会に対するある程度の責任を負っている以上、義務は果たすべきだ。その上で、この「五訓」は、シンプルに道を示してくれる。


 剛毅かつ鋭利に行政を斬り続けた後藤田正晴氏。先ずは、「お疲れ様でした」と言いたい。そして、天でも辣腕を存分に振るって下さい。